アンプの「力」とは

 皆さんは「このアンプは力がある」という表現をしたら、 具体的にはどんな音をイメージするでしょう。 「大きな音を出せる」という意味でしょうか?多分違うと思います。
 自動車だったらどうでしょう。「この車は力がある」と表現したら、 「最高速度の大きさ」を意味しますか?きっと違うと思います。
 力学の世界では「power」とは「仕事率」です。「力」ではありません。 「力」は「force」です。 自動車のエンジンの場合は直線的な力ではなく偶力(回転力) のため「torque」という名前になります。 自動車の「力」はパワー(最大出力)ではなく、トルクです。 最大出力(自動車では馬力という単位が使われますが、力学ではWです)は、 最高速度を決定し、トルクは加速能力を決定します。 ぐいぐい加速するこの加速感こそがクルマの「力」です。
 オーディオアンプに話を戻しましょう。 現在のアンプ評価にはパワー(最大出力、単位はWです)の概念しかなく、 フォースは定義すらされていません。 真空管の時代から今まで、アンプの「力」は定量化の努力は払われる事なく 「聴いた感じ」だけで語られてきました。 アンプの「力」について考えるなら、 まずフォースについて考えなければなりません。 フォースの存在に気付いてしまうと、文章力にものを言わせてパワーだけで アンプの「力」を語ろうとする評論家諸氏のなんと滑稽である事か。 我々はやっとパワー至高の迷信から解き放たれ、 真にアンプの「力」を評価しようとしています。 日本の一般家庭に10Wもの出力が必要になる事は希です。 その10Wを「ちゃんと」出すために100Wもの出力を持つアンプを 選んだ事はありませんか? フォースさえ把握できれば、 もう不必要なパワーに余計な金を支払う必要はなくなります。 しかし、フォースの歴史はやっと始まったばかり。 今はまだやっと概念を確立しようという段階です。 すぐには最大出力まで「ちゃんと」力のある10Wのアンプは作れないでしょう。 これから、その方法を、僕たちが、考えなければならないのです。 明日からのオーディオ界のために。

電圧源としての「力」

 現在主流のパワーアンプは電圧出力です。 電圧源の「力」は負荷電流による電圧の変動の少なさ、即ちZoで評価されます。 アンプの特性値としては「DF(ダンピングファクタ=ZL/Zo)」があります。 ZLには大抵8Ωが代入されます。 つまり、フォースを表現するための特性値は用意されています。 しかし、それは表現されているでしょうか?否。 だから今、フォースをちゃんと認識しよう等と僕がお節介を焼いているのです。

DFが無意味になった理由

 多分、球(管球)の時代には、 DFと音の相関はかなりとれていたのではないかと思います。 石(半導体)の時代になって 「DFは20以上あれば音には影響しない」と言われるようになりました。 その理由は 「Zoがスピーカまでの配線の抵抗値より小さくなってしまったから」 というのが通説のようです。
 それは間違っていないと思います。でも、それだけでしょうか? 確かに配線を短くすれば音は確実によくなります。 左右別々のパワーアンプをスピーカの近くに置けば アンプのクオリティは更に引き出されるでしょう。 でも、本当にそれだけの事なのでしょうか?
 実際に聴いてみて「力のある」と感じるアンプや 「非力」と感じるアンプは確かにあるのです。 同じ配線でアンプだけ交換して違いが解る程に。 そして配線を短くしてアンプの真価をより発揮させるとその 「差」は更にはっきりと開きます。 この現象はどう説明されるのでしょう。

化粧の下の素顔

 石アンプは球アンプに比べ、格段に高性能になった事になっています。 しかし今も球アンプを愛好する人はいます。単なる郷愁ではありません。 石の時代になってから生まれた世代の人でも、 同じ土俵で比べて球を選ぶ例が少なくありません。 現実の問題として、石はまだ「球を超えた」と言えるまで成熟していないのです。 勿論、未だに球に届いていないとは言いません。 しかし「石だから球よりいい」という幻想は捨てるべきです。
 低い電圧で使えて、大電流が扱えて、 コンプリメンタリな素子が作れるという特性故に直結構成が可能になり、 直流までフラットな特性が実現できる石アンプ。 トランスにつきものの非線形歪みも帯域制限も受けず、 クリアな音質が得られる石アンプ。 増幅率が大きいうえに素子当りの価格が安いため 多くの素子をふんだんに使って設計ができ、 大きなオープンループゲインに深いNFBで歪みを測定限界まで抑えられる石アンプ。 これだけの好条件を備えながら結局球とどっこいの勝負になってしまう素子が、 本当に「球を超えた」素子なのでしょうか? なんだか書いてるうちに凄く疑問になってきました。 僕は石の世代でチャキチャキの「石っ子」なんですが。
 閑話休題。何故石の時代になってDFは意味を失ったか。 それはやはり「深いNFB」のせいでしょう。 NFBによって測定機に出るDFは改善できても 「力」が実際に増すわけではなかったというだけの事。 どんなに深いNFBをかけても裸特性は実性能に影響する、 そんなあたりまえの事がDFという値には出てこないのです。 「大きなオープンループに深いNFB」は「長所」ではなく 「深いNFBをかけなければ実用に耐えないが 幸いオープンループゲインを大きく取れたので厚化粧が可能だった」 という「結果」に過ぎなかったという事です。 深いNFBが「錦上の花」ではなく「厚化粧」でしかなかった点が重要なのです。

立ち返って「駆動力」

 例えば、電源の規模はアンプの「力」と強い相関を示します。 同じアンプ部でも電源が大きくなると大抵は「力」も増します。 これもフォースが裸特性を露呈すると主張する根拠です。 同じアンプ部、同じ電源でもカウンター駆動にする事でフォースは如実に増大します。 フォース性能は何によって決まるのでしょうか。
 電圧源としての「力」はZo、と先に書きましたが、 もう一度立ち返ってみましょう。 電圧源の「力」とは「電流に関わらず電圧を維持する性能」です。 Zoといった単純な数値で表現できる範囲を超えて考える必要がありそうです。

平均と瞬間のマジック

 Zoという数値は定常的なものです。 自動車の加速性能も通常は「ゼロ4(停止から400メートルを駆け抜ける時間)」 とか「ゼロ100(停止から時速100キロに達するまでの時間)」 で表現されますが、それはあくまで「数値に表現する方法」 として目安的に使われるだけで真に問題にされるのは「レスポンス」です。 レスポンスとは「反応」とか「応答」といった意味です。 アクセルを踏んでから実際に加速が起きるまでの反応が鈍いものは 評価が上がりません。それは、実際に走ってみれば解ってしまいます。
 アンプの応答はどうでしょう。 Zoは例えば1Aの信号を注入した時の電圧降下で測定できます。 その測定値が「応答性能」を示すでしょうか? 静的な「定常状態での測定値」と動的な「応答性能」は決して同じではなく、 NFBの深い石アンプではその差は特に顕著なのです。 動的な応答性能、そこにアンプの裸特性が露呈します。 そしてAudible(可聴的)なフォースもそこにあるのです。 石アンプの瞬発力は定常値として測定される値よりずっと低いのです。 無帰還(正確にはメジャーループ帰還のない)アンプの音がいいのは 無帰還だからではなく、帰還に頼らずにある程度測定値の出る性能を与えるために 贅沢な構成を取らざるを得なかった結果だったりするのです。 そして多くの場合、そうやってちゃんと作った無帰還アンプは メジャーループNFBをかけて測定値に出る特性を桁違いに改善しても 音質は大して改善されず、場合によってはむしろ悪くなります。皮肉な話です。
 かつてハーマン・カードンのマッティ・オタラ氏は電源に 「瞬時給電能力」を求めました。 日本のオーディオ評論家も電源トランスの規模と音質の相関を説き、 重いアンプの大流行を招きました。 今のところ、電源の立派なアンプはそれだけの電源を 与えるに値するアンプ回路部を持っていますので、 製品として見る時に電源を比べるというのは結構ハズレの少ない選び方です。 勿論、折角大きな電源トランスを積んでも給電配線が長くて 配線の抵抗が無視できないなんていう間抜けな製品がないとも限りませんので、 単に電源の規模が大きいというだけでよいアンプとは限りません。 それに、フォース以外の音質的要素も 「好み」に照らし合わせて選ばねばなりません。 よくできたアンプにも、繊細なものや豪放なものがあるのですから。

フォースの概念

 アンプの「力」という概念はほぼ誰もが持っているものです。 しかし多くの人はそれを「パワー」と同意と勘違いしています。 アンプの力「フォース」は「パワー」とは異なる概念です。 結果的にかなり強い相関はありますが、同じではありません。 アンプを作る人も使う人も、その事を正しく認識すれば、 石アンプはきっと、更なる高みへの道を見出せるでしょう。 それが日本からだなんて、何となく自慢になると思いません?

(執筆 1999年7月)
改訂 2003年8月

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