'80年代まで、富士宮に実在した「ニイノ珈琲店」。
マスターは細身で穏やかな方でした。
店は家から徒歩5分ちょい、間口一間の殆どカウンターのみ。
「珈琲スタンド」と呼んでもいいぐらいでした。
マスターはそこで、専らネルドリップでコーヒーを抽出していました。
オーディオと同時期に手を染めたコーヒーでしたので、
当時既にコーヒー暦10年になろうとしていましたが、
この店のコーヒーにはカルチャーショックを受けたものでした。
だって、この店のコーヒーって、やたら透明なんです。
カップの底がはっきり見えるんです。
(後で聞いたら、マスターは「コーヒーの色が見えない」カップは嫌いという事で、
内側が白またはごく淡い色のカップを専ら使っているとの事でした。)
これで本当に味がするのかといぶかりながらひと口含むと、
色を見た時以上のショックが待っていました。
濃いんです。苦いとか具体的な味ではなくて。
これが「アロマ」というものであったかという、素朴な感動でした。
あと、甘いんです。苦味とか酸味とかも確かにあるのですが、甘いんです。
正直、10年目にして初めて本当のコーヒーに出会ったとさえ思いました。
以来、見様見真似のコーヒー修行が始まります。
まずはとにかく形から。さっそくネルの袋に挑戦しますが、
何度やってもあの味は出ません。仕方なく「科学」の手法を導入します。
まず、それまでの「常識的」コーヒーとどこが違うのか、
通い詰めて徹底的に観察しました。
マスターは尋ねても具体的な事は殆ど語らない人でしたが、
カウンターに座ると目の前で抽出して見せてくれます。
「欲しくば盗め」と言わんばかりに。
そうして導き出したひとつの結論は
「急げ」
抽出時間をいかに短くするかが最初のテーマとなりました。
それがニイノ珈琲の全てではないと解ってはいましたが、
とにかくニイノ式は「早い」のです。
「蒸らし30秒」なんていう工程は存在しません。
湯を注ぎ始めてから30秒後には注水を完了しています。
□□ 紙ドリップでの試行錯誤 □□
実験と実践によってデータを把握していく段階に入るに際し、
その安定性から紙ドリップを採用しました。
メリタとカリタがありましたが、紙の安い国産のカリタにしました。
と言うより、それまで使っていたカリタでデータ採取を始めました。
後にメリタも買ってみて、面白い事実に気づきます。
3つ穴のカリタより、小さなひとつ穴のメリタの方が、抽出速度が速いのです。
濾紙の特性によるもので、一見形状の似ているふたつの紙ドリップ器具は実は、
全く互換性のない、相容れぬ別モノだったのです。
両者の互換性がないという事実は、
それ以外の濾紙で間に合わせようとするのがいかに割の悪い賭けであるかを
端的に示しています。特に冒険が目的でなければ、
カリタにはカリタの、メリタにはメリタの紙を使う事を勧めます。
両者を比較すると、メリタの方が安定していました。
点数で言えば、確実に70点をキープしてくれます。
しかし、80点がなかなか出ない。
カリタは必ず70点をキープしてはくれませんでしたが、
たまに80点が出るのでした。
当然、教材に適しているのは「淹れ方」の影響を受け易いカリタです。
でも人にはメリタを薦めるのでしばしばその不整合は不信を呼んだと思います。
頭の隅に残る味の記憶だけを頼りに、長い旅の始まりです。
□□ 究極の「早さ」を! □□
紙ドリップにこだわったのは、僕が「技術」の「術」の方を重視したからです。
「技」(skill)ではニイノ師に届く筈はありません。
でも僕はあの味を「伝えたい」と思った。
だから、自分だけにその味を実現するのでは意味がなかったのです。
誰でも実現できる「術」(method)をこそ欲しました。
だからこそ、器具も入手の容易なメリタ/カリタは必然なのでした。
でも、ニイノ師は紙ドリップを使ってはいませんでしたので、
紙ドリップでなくては、という発想も持たぬよう注意せねばなりません。
一度だけ、ニイノ師が実演つきで教えてくれた抽出法。
師のレギュラーではありませんでしたが、
そこにもひとつの可能性がありました。
□□ リファレンス □□
分類すればボイルという抽出法になると思うのですが、
いわゆる「煮出し」ではありません。
あくまで「湯でさらう」基本方針は貫かれています。
手鍋に杯数分の湯を沸かします。蒸発する分も意識して。
沸騰したところへ粉を放り込みます。激しく泡が立って粉を取り込んでいきます。
全ての粉が湯につかる間合いで火を止め、茶漉しで漉してしまいます。
何故茶漉しかと言えば、それが一番早いから。
細粉は通してしまいますが、ある程度以上のサイズの粒は湯から上げられます。
師はこれの上澄みを飲むと教えてくれました。
「粉っぽいのが嫌いなら茶漉しにテッシュペーパーを2,3枚重ねると
いいですよ。ただし、香料の使ってない紙をね」
この第一抽出液を更に濾紙で漉してみました。
大きな粒がないので濾紙はすぐに詰まってしまい、時間がやたらかかります。
そのうえ、いくつもの器具を通るので、
全てをウォーミングしてもかなり冷めてしまいます。
しかし、その第2抽出液の味はそれまでで最も師の味に近いものでした。
以後、この抽出法を「ボイル・ニイノ・リファレンス」と呼び、
味に迷うとこの方法で淹れています。
器具を沢山使うので淹れるのも片付けるのも面倒で、しかも冷めてしまう
ため日常的には使えない手法ですが、
手間さえ厭わなければ誰でも再現できるこの方法をリファレンスとして持つ事で、
最低限度の標は得る事ができたのでした。
この方法による抽出を僕に行わせるのはなかなか大変です。
相当の熱意で懇願しなければ僕はその気になりません。
かつてこの方法で抽出したコーヒーにありついた者は片手にも余る数しかいません。
予め断っておきますが、煙草を吸う習慣を持っている方には淹れません。
意地悪で断るのではない事はご理解下さい。
煙草に冒された人の舌ではその味を感じられないのです。
解って貰えないと解っていて大変な思いをしたくない、それだけです。
1年ぐらい禁煙して下されば考えないでもありません。
そんな努力をするよりは、ご自分でお試しになる事を勧めます。
面倒なだけで難しくはないのですから。
□□ ニイノコーヒーは今 □□
マスターは僕が就職する前に「ニイノ珈琲店」を畳んでしまいました。
「子供が学校に上がりますのでね。
私は今まで自分の好きにやらせて貰ってきました。
これからは家族のために働くつもりです」
これ以後、彼は自分と家族のため以外にあの珈琲を淹れてはいません。
ここ数年、大病を患い命はながらえたもののもうカウンターに立つ事は
できないそうです。
彼は自分の抽出法を誰かに伝授して残したいとは思っていません。
「私はひとりで努力して13年かかってこの味を掴みました。
この味は私ひとりのものです。誰にも伝えず一人占めして墓に持って行くのです」
にっこりと、彼はそう言うのです。
だから僕なんかもうるさいだけの存在だったかも知れません。
でも僕は僕で、この味を知らされてしまった以上、
もう飲めない事が悔しくなりません。だから必死に食い下がりました。
当時大学生の僕達にとって、一食に千円かける事は外食でもかなりの贅沢でした。
ただコーヒーだけを3杯飲んで千七百円なんていう店に通った熱意を
汲んでくれたのでしょう。
いろいろ問いかける僕に嫌な顔を見せた事は一度もありません。
プロ意識からか厚意かは不明のままですが。
彼から全てを伝授されても、彼の味と全く同じにはなりません。
だから彼は自分以外の者が「ニイノ珈琲」を名乗る事を許しません。
それでも、僕はあの味に憑かれた者の一人として、あの味が、
そしてあの珈琲理念が、彼と共に全て失われてしまう事に堪えられません。
甲府に来てから電話で話す機会があり、
彼を心の師と仰ぐ事をご本人に認めて戴きました。
言うなれば「心の一番弟子」といったところでしょうか。
亜流でもいい。我流でもいい。彼の精神だけはこの身に宿らせ、
僕は僕の味でいつかニイノ珈琲のように人の心に残りたい。
その日を夢見て、今日もケトルを握ります。一杯のコーヒーにひとときの幸い。 そう、いつか、きっと。